10歳児死亡は父親の責任ですが自相と教育委員会も共犯者ではないでしょうか?
2011年に柏市2歳児餓死事件をご存知でしょうか。柏市はこの事件でもしっかり対応出来なかったのです。

父親の小坂雄造と妻が子供に食事を出さずに亡くなった子供の腸からはオムツが検出されました。
私はこの父親の元上司でした。
この事件の背景にかかわるもう一つの事件をお話しします。
じつはこの事件のおよそ10年前、彼は私の経営する会社の社員でした。
大手営業会社から独立したばかりの私の会社は発展途上で営業経験者を優遇して採用していました。その中の一人が小坂雄造でした。協調性に欠け人の好い所がありませんでした。
人の事や会社の事など興味なく、自分の利益にのみ興味がある男。
普段、顔色を変えず冷たい印象。理屈っぽく、自分の都合でその時々に言う事が変わる。
面倒くさい男。プライベートでは絶対にお付き合いしたくない男でした。
入社早々に保険会社とトラブルを抱え私に相談を持ち掛けてきました。
交通事故のトラブルと損害請求を保険会社に高額請求してとん挫したままになっていたので私が間に入ってバランスを取り損害額も下りる事になりました。
残念ながら彼は『ありがとうございます』と言いながらも特に感謝した様子はありませんでした。
彼が入社して1年くらい経つ頃、ある噂が聞えてきました。彼が奥さんに対して暴力を振るう事。彼の暴力で奥さんが腕を骨折したと言うのです。しかも骨折は前にもあったと言う事。
驚いて彼にこの件を問いただすと悪びれる様子もなく冷たい笑顔で奥さんへの暴力を認めました。

数日後、私は彼の自宅に家庭訪問をして奥さんと子供に面談しました。
大人しく口数の少ない女性。問われると答えるがそれ以外は口数の少ない女性でした。
夫からの暴行も認めたので私は緊急性を伴う案件であるため母子シェルターを勧めました。
その場でシェルター非難とはなりませんでしたが、時間はかかりましたが非難できました。
もちろん、この件で私が奥さんにシェルターを勧めた事は小坂は知りません。
いち会社の上司とは言えここまでやって良いのだろうか?このまま見て見ぬふりをして会社の業務、業績だけの関係として深く介入する必要があったのだろうか?という心の葛藤はありました。
その後、ライバル会社の引き抜きに合い小坂は若い社員を引き抜いて一緒に退社しました。
後ろ足で泥を引っ掻けるように辞めてゆきました。
この当時、小坂は30歳前後。私の会社に勤めている時に女子高生をナンパしてつき合いが始まったようです。
この女子高生と再婚。のちの妻となり子供を虐待後餓死に追い込む事件を起こしたようです。
私は未然に誰かを救う事が出来たのか・・・。
結局は何もできなかったのか・・・。
私のやった事が正しかったのか・・・。
今も複雑な心境になります。